コンテンツ
・はじめに
・設立20周年を迎えた武神の歴史
・酒井先生の武神代表10年の歴史と功績
・大会に華を添えてくれたゲストたち
・酒井代表を支えた先生からのコメント
・最後に…
JKJO酒井代表が、10年間務められた武神代表を勇退されることになりました。長いようであっという間だった10年の代表在任中に、武神、いやフルコンタクトカラテ界に様々な功績を残してくれました。そんな酒井先生の10年の歴史と功績をまとめてみた。
武神は2001年に東海エリアで、同じ志の8道場が集結し結成されました。初代武神代表は、啓心館の鈴木館長。もちろん創設メンバーには、酒井先生と男塾の松井塾頭も名を連ねている。そして “日本で一番のオープン大会” を目指し「武神カラテオールジャパンカップ」が同年開催される事となる。地方の体育館からスタートした大会も、4年後には愛知県体育館(現ドルフィンズアリーナ)で初開催するまでに成長。その頃、武神加盟数も東海エリアの道場を中心に20道場ほどに増え、同大会も愛知県体育館をホームに毎年開催される事となった。
2006年、松井塾頭が二代目武神代表に就任、酒井先生が副代表に。翌年、特定非営利活動法人(NPO)に申請し「NPO法人 武神」の誕生となる。松井塾頭が武神代表を二期務められた後、2011年、酒井先生が三代目武神代表に選出される。
[2011年]
酒井先生が三代目武神代表に就任。就任時なんと39歳!武神加盟数は18道場。加盟18道場の代表者の中で最年少の酒井先生が、先輩たちに認めてもらうには実績と結果しかなかった。その為に、就任当初から公約として「武神加盟100団体」と「ナゴヤドームでの開催」を掲げ、その目標へ向けて動き出す。
まず始めに着手したのが「武神ユース」の発足。今でこそ当たり前のユースも当時は前例がなく、誰もが反対するスタートだった。8月には選ばれたユース選手と中国大連の「極真会館浜井派大連総本部」へ強化遠征に行く。また同年、初心&初級の輝ける場を考え、初心・初級者のための武神加盟道場内大会「武神杯」を初開催する。
酒井代表になって最初の「武神カラテオールジャパンカップ」は愛知県体育館(現ドルフィンズアリーナ)で開催され、この頃には既に1000名近い選手を動員するマンモス大会だった。
[2012年]
愛知県体育館にて「武神カラテオールジャパンカップ2012」開催。参加数が初めて1000人を越え、ナゴヤドーム大会開催の目標に向けて手応えを掴む。ここで改めて武神理事に「ナゴヤドームでの開催構想」を打ち明けるも、誰もが不可能と思っていた。その後、様々な先生に協力を求めるも、この時点では誰も本気で開催するとは思ってもいなかった。正直、プロの組織でも簡単に手を出さないナゴヤドームを、アマチュアの空手組織が利用するのは、予算的に無謀な挑戦だった。そこで酒井先生は同年からコツコツとドーム貯金を始めるのだった…(笑)。
[2013年]
武神加盟数30団体。中高生を中心とした「武神ユース」に加え、小学5・6年生を中心とした「武神ジュニアユース」を新設し、北海道で開催の「チャレンジカラテトーナメント」、茨城県で開催の「東日本ジュニア総合空手道選手権大会」へ参戦し好成績を残す。
同年、JKJO選手強化委員長に就任する。
[2014年]
翌年に「ナゴヤドーム大会開催」をすることを発表する。この時、武神加盟数38道場だったが、ドーム大会開催までに50道場を目標にする。ドーム開催をする上で、一番心配だったのが予算。エントリー数もスポンサーもこの時点では未知数なので、構想時からコツコツと貯めたドーム貯金が功をなす(笑)。開催日時の調整も大変で、プロ野球のシーズン真っ最中の合間の日曜日なんて奇跡に近い空き状況を狙う。そして、50面でも60面でもコートが作れそうなグラウンドや、広すぎる観客席の使用方法など、全てにおいて想像をはるかに超えたドームの大きさに頭を抱えたのは言うまでもない。エントリー数2000人の目標を掲げ、1年をかけた怒涛の準備がここから始まる…。
同年、衆議院議員の石原伸晃氏を武神顧問に迎える。
[2015年]
2015年7月、空手界が未だ踏み入れたことのないドーム大会「武神カラテオールジャパンカップ in ナゴヤドーム大会」を満を持して開催する。酒井先生の想いが協力していただいた全ての先生方に伝わり、武神史上最高エントリー数となる2214名の動員を記録した。武神加盟数は目標を超え52団体。開会式では歌手の上田正樹さんが君が代を独唱し、愛知県の大村知事、お笑い芸人の千原せいじさんが祝辞を。そして空手界からは新極真会代表の緑健児先生、世界総極真代表の長谷川一幸先生、白蓮会館の杉原賢亮館長など、空手界の重鎮がお祝いに駆けつけてくれた。成功か失敗かは別として、無謀なことにも挑戦するのが酒井武神スタイル。大会終了後、酒井先生が涙するほど、色々な思いの詰まった大会だった。この歴史的なドーム大会は強さを競うだけではなく、参加者全員にとって忘れられない1日となったに違いない。
尚、ドーム大会より現在の「全日本ランキング」の原型となる「武神ランキング」がスタートし、同時に「形の部」もスタートする事となる。
[2016年]
ドーム大会の勢いそのままに、愛知県体育館にて開催した「武神カラテオールジャパンカップ」は1755名を動員。コート数は愛知県体育館MAXの13面。ゲストを呼んだり、生の三味線演奏、光や音の演出など、今でこそ「武神=派手な演出」のイメージが定着しているが、様々な演出はこの年からスタートする。
年末には初の試みとなる「武神+白蓮会館」の合同稽古を大阪で開催し、一般からジュニア選手まで総勢250名が集結した。
[2017年]
コンサートの聖地でもある日本ガイシホールにて「武神カラテオールジャパンカップ」を初開催し、ナゴヤドーム、愛知県体育館と名古屋三大会場を制す。大型ビジョンやLEDモニターなどを使用して、昨年よりスケールアップした開会式を演出。そして同大会の模様を民放テレビで初放送する。
同年、団体の垣根を超えたチーム対抗戦「武神団体戦」を開催し、予想以上の盛り上がりを見せる。また、武神加盟道場の海外支部に協力をいただき「武神国際事業部」を発足。海外支部32道場が武神加盟となる。国内武神加盟数84団体。
さらに同年、桜塾が20周年を迎え「桜塾20周年大会」を日本ガイシホールで開催。
[2018年]
2年連続日本ガイシホールにて「武神カラテオールジャパンカップ」を開催。相変わらずド派手な演出は健在で、ガイシホールという会場をフルに活用してさらにスケールアップする。今回は和の演出がメインで、比叡山延暦寺の今出川先生の挨拶、書道家・小筆凰外先生に、5メートルを超える巨大なキャンバスに「武神魂」と、魂のこもった書のパフォーマンスをしてもらう。
同年、武神ユース選手は中国大連で開催の「大山倍達杯国際空手道選手権大会」へ遠征する。
[2019年]
ふたたび愛知県体育館に会場を戻し「武神カラテオールジャパンカップ」初の二日間開催。全国から1600名近い選手が集い、ブラジルやスペイン、メキシコ、ロシアなど海外からの選手を招聘し「国際親善大会」も同時開催となった。いつもの派手な演出とは少し趣向を変え、ラッピングや国旗で会場を飾り、日本語と英語のMCを用意して国際色豊かな雰囲気を演出した。
そして同年6月、念願の武神加盟100団体に到達し、就任時に掲げた公約を有言実行する。
武神ランキングも4年目を迎え、他流派の選手も参加できるオープンランキングにする為、名称を「全日本ランキング」として再スタートする。
[2020年]
武神20周年となる記念すべき年に様々な大会やイベントの構想をしていたが、全てコロナで断念することとなる。もちろん、8月に予定していた「武神カラテオールジャパンカップ」も中止。酒井代表10年の集大成として、大きな花火を打ち上げてから次期代表へバトンタッチしたかったが、それも叶わないものとなった。だが、酒井先生が武神に残したものは計り知れないほど大きく、100団体を超える巨大な組織になったのも、選手が輝ける舞台を作ったのも、現在の武神のイメージ全てが酒井代表の功績なのだ。
最後に、現在武神加盟数国内104団体、海外54団体、全加盟158団体。ただ単に国内100団体加盟の目標達成しただけではなく、ほぼ武神を離れた道場がいなかったのもここに付け加えておく。
2015年のドーム大会では、国家独唱に上田正樹さん、お笑い芸人の千原せいじさんがお祝いのコメント。空手界からは新極真会代表の緑健児先生、世界全極真代表の長谷川一幸先生、白蓮会館の杉原賢亮館長など、空手界の重鎮がお祝いに駆けつけてくれた。2016年の愛知県体育館大会では、T-BOLANの森友嵐士さんが国家独唱、お笑い芸人の間寛平さん、元E-girlsの杉枝真結さんがお祝いのコメント。2017年の日本ガイシホール初進出の時は、PRIDEやRIZINでおなじみのMCレニーハートさんによるタイトルコール、そして小柳ゆきさんが国家独唱に加え、往年のヒット曲を熱唱。2018年はブラザーコンさんの国歌斉唱とWont Be Longを歌ってもらう。2019年の国際親善大会では、モデルやタレントとして活躍している土屋アンナさんが国家を独唱してくれた。
武神相談役 松井 啓悟
「酒井先生とは武神創設当初から20年、今まで一緒に歩んできました。始めはお互い30歳前後で、重鎮の先生の中で揉まれながら頑張っていたことを思い出します。私が2代目武神代表に就任した当初から、陰ながらずっと支えてくれました。それは今でも変わりません。本当に感謝しています。これからは、私が支えていけるよう、全力でサポートしていきます」
大会運営委員長 齋藤 隆洋
「酒井先生は、まず“有言実行”する男。言ったことは必ず実行するし成し遂げる。そして“気配り心配り”の出来る男。人をヤル気にさせて動かすことが本当に上手い。さらに“行動力”はピカイチで、自分自身が自ら動くから説得力がある。最後に“100%の満足がない”から、常に上を求める。それを全て理解するのに10年掛かりました(笑)。次のステージでも期待しています」
大会実行委員長 長谷川 允也
「10年間お疲れさまでした。ドーム大会は誰にも言っていませんが、二人とも体調を崩して倒れても頑張りました。初めての日本ガイシホールは、設営が間に合わず二人で徹夜しました。今となっては良い思い出です。これからも酒井先生とは苦楽を共にした良き戦友です。その関係は変わりません。JKJOでも素晴らしい舞台を創り上げてくれることを期待しています」
武神事務局長 服部 直幸
「私は鈴木館長時代から、松井塾頭、そして酒井先生までずっと、武神に育てられたと言っても過言ではありません。中でも酒井先生とは武神で10年、本当に様々なことを勉強させていただきました。まだまだ一緒にステキな景色が見たいので、お礼を言うのはその先まで取っておきます。これからも必死にしがみついて行きますので、宜しくお願いします」
酒井代表体制の10年は、今まで誰もが想像もしてこなかった事の連続で、常に反対され、そして挑戦して、発展してきたことの繰り返しだった。ユースも団体戦もランキングも派手な演出も、今となってはスタンダードな事も、始まりは簡単ではない。これからも武神は、新たなことを求めて挑戦していってほしいと切に願う。武神代表としてのお役目はここで一旦幕を閉じるが、酒井先生の「武神愛」はこれからも変わらないだろう。今後は武神最高顧問として、陰ながら支えてくれるに違いない。酒井代表の想いは、新代表代行の松井塾頭に託された…。